太平洋戦争中の1944年8月、グアム島に上陸した米軍の攻撃に対し、日本軍は島北部に追い詰められていた。ここマタギャックヒルにはもともと日本軍司令部があったが、8月11日に米軍の戦車約50両に包囲されて全滅し、組織的戦闘は終了した。
戦後、マタギャックヒルには戦死した日本兵を慰霊するため、「慰霊公苑」が設けられた。中央に「合掌する手」がモチーフの高さ15mの「白い慰霊塔」がある。
「慰霊公苑」は小高い丘の上にあるが、この丘の下には司令部壕跡が遺されている。内部は15畳ほどの広さであり、内部は土砂で半分ほど埋まっている。守備隊司令官の小畑中将と60名余の将兵はここで自決した。
ここには前述の白い慰霊塔の他にも色々な施設や戦時中の様子を知る事が出来るような品々が置いてある。例えば、戦時中の遺品や日本軍が使用していた水を貯める為のタンクや洞窟などがある。
毎年、たくさんの人がここを訪れている。昭和60年には遺族が慰霊に訪れた際に日の丸に寄せ書きをしている。この寄せ書きはこの公苑に飾られている。またグアムという場所柄修学旅行で訪れる学生も居るが、そういった学生の寄せ書きなども飾られている。
この場所の雰囲気がそうさせるのか、ここを訪れると背筋がスッと伸びるような感覚に襲われる。別に霊的な物でも何でもないのだが、私達日本人の倫理観がそうさせるのかもしれない。
悲しい歴史が詰まった場所ではあるが、ここを訪れた後には悲しい気持ちになるのではなく、先祖が国を守るためにどのような気持ちで亡くなって行ったのかという事を考えると感謝の気持ちが湧いてくるはずだ。
グアムにはいくつか戦争に関連した観光地があるが、日本人として、ここは外せない場所の一つであると言える。
グアム島北東部のジーゴ地区である。
タモン地区からは1号線を東北へ行くと、29号線とのT字路(信号機あり)が出てくる。ここを直進し、さらに1号線を700mほど北東に進む。
手にMilalak Drという路地があるので、ここを入る。500mほど行った突き当りが公苑の入口である。
なお、Milalak Drの少し手前には「慰霊公苑」の場所を示す小さな看板が設置されている。
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